オートバイとスポルティーフと模型道楽2

自転車旅行と美味しいものが好き!

2022年03月



2月29日火曜日午後1時から退院手続きをし2時前に退院しました

姉と私と妻の三人で迎えに・・・

1月14日金曜日に入院して1月半経ってました。

要介護2から要介護4(日常生活において介護なしには生活出来ない状態)



介護施設への道すがら桜並木が満開でとても綺麗でした

綺麗だねぇ・・・

綺麗だねぇ・・・

と母

話口調もハッキリし元気そうでしたが

認知症は随分進んでしまった印象・・・

自分が入院し退院してきたことも既に覚えていません・・・



何処に行くんだい・・・?

これから綺麗なお部屋に行くんだよ。

私、何か悪いことしたのかい?

そんなこと無いよ・・・。

桜綺麗だねー

うん、綺麗だねぇ・・・。



父はどうしてるの?

父はお仕事で来れないんだよ・・・

忙しくてさ・・・

父のことは流石に母に話せませんでした。



施設に行く前に

何か食べたいものある?

お大福食べる?

・・・と聞きますと食べたいと。

甘いものが欲しいよーでした。

施設の近くの万屋にはお大福は無かったのですが

人形焼き、おはぎ、おせんべい、チョコレート、蜜柑を買い求めました。

美味しい美味しいと人形焼きをあっと云う間に5個ペロリ

その後介護施設へ。

施設でも蜜柑を5個ペロリでした

夜食の際はおはぎを1個ペロリ



施設では特別に3時間ほど共に過ごさせていただきました。

外階段で直接部屋へ。

責任者の方が挨拶にみえると

あなたはどなた?

私はこの施設の管理者で〇〇と申します。

三輪車(管理者)

何処で自転車屋さんをされてるの?

・・・何てことも



施設長がみえると

あら~~あなたイイ男ね~!

髪型カッコイイわね~!

ですって



責任者も施設長もイケメンだったので機嫌が良かったのですが

介護士の方は気に入らないよーでした

いろいろ説明を受けている最中にトイレトイレ・・・と。

介護士の方がトイレまで車椅子で運び

手を貸しましたが立つことが出来ませんでした・・・

何度も挑戦したのですがダメでした・・・



病院では昼は自分で排尿

夜間はオムツでオネショと聞いていたのですが

自分で排尿は無理のよーです。

入院前の実家での状態と変わりません

介護士の方もこの状態では排尿は無理ですねぇ・・・

昼も夜もオムツで排尿、排便になると思いますと。

入居者の方の大半がそのよーなのですね。

姉もその姿を見て納得したよーでした。

こちらではどーしようもないし・・・



その後、夜食の後お暇しました。

三人共に草臥れて外食したのですが

・・・ちょっと無理だなぁ・・・と姉。

出来たら自分で介護したがっていたのですが

現状を見て

・・・やっぱり支え切れないなぁ・・・と。

私も同感でした



母はコロナ禍で今日まで部屋で一人切り。

初日の夜はオムツを外して布団を汚したとのこと

1日5回オムツ交換の時間があるそーです。

良く話し食欲はあるそーです。

二日目の夜は床で布団を被って寝ていたとのこと。

床上15㎝まで下がる介護ベッドを手配したそーです。



本音ではオムツも漏らしたら直ぐ換えて欲しいけど

それは無理な相談だと分かってます

もう、施設にお任せするしかありません。

こんな感じで母の施設生活が始まったのでした。



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姉がバリから帰って1ヶ月
そもそも母の入院の報を聞き帰国したのです。
父からは
母には逢えんのだから帰って来なくてもよい・・・
と云われてました。
私も今来ても山は越えたからなぁ・・・
と思う処もありました。




ですが、姉が帰国してくれて本当に安堵しました
張り詰めていたんですね。
1月は18日、2月は12日、3月は10日間実家でした。
母が入院し父の介護だけになりましたが
姉に父の面倒を任せることが出来て
かなり安心して日々を過ごせました



私だけだと週末メインになり
奥さまの手を借りても
どーしても父が一人の日が生じてしまいます
回復基調だったとは云えその日に何かあったら・・・。



姉は結婚を機に海外に移住。
数年に一度くらいは帰っていましたがその時は父母との時間。
今回のように父と二人だけの時間は初めてだったように思います。
父といろんなことを語り合い、食事の世話や家事をこなし
最後は下の世話もしてくれました。



スプーンのお粥をこぼした時には
お父さんは私が小さい時こうやって食べさせてくれたんでしょ・・・
おしめの世話の時には
お父さんはこうやって何度も換えてくれたんでしょ・・・
と謝る父に娘として尽くしてくれました。
臨終の日もずっと傍に居てくれました
亡くなる寸前まで父と語らった日々だったように思います。
父にとっても姉にとっても
幸せな幸せな時間だったと思います



姉の帰国時には奇跡的にチケットも取れ
母のための帰国だったのが
父に孝養を尽くすための帰国になりました。
父と過ごすための早期帰国だったみたいです。



姉は結婚して海外に移住するとき
親の死に目に逢えなかったらどうしよう・・・
それだけが気掛かりだったと云ってました。
それが父と濃密な時間も過ごせ最後の親孝行も出来ました。
私はそこに天の配剤のようなものを感じるのです。
父には最愛の娘と過ごす優しい時を
姉には父への最後の親孝行の時を。


父が逝ったあと
姉はずっと・・・今でも・・・泣き続けています
哀しさがあるのは勿論ですが
口にするのは
父への深い感謝・・・
父への尊敬・・・
父の子で良かったと云う想い・・・
こんなことがあった・・・
あんなことがあった・・・
それを延々と語っています。



何と幸せな父娘だろうか・・・
私もまた涙が止まらないのです。





祖母はベッドから少しはみ出して亡くなったのですが
父は生前、お前たちの世話にはなりたくない
おばあちゃんのように死にたい・・・
そう申しておりました。
そして、布団からちょっと左足が出た状態で
祖母のように亡くなっていました。
・・・思った通りに逝ったんですね





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父の訃報に際し
多数の方からお悔やみのメッセージをいただきました。
この場を借りてこころより御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。






3月26日土曜日午後10時 父永眠す

享年95

生涯現役を貫いた偉大な父でした




細菌性の感染症も無事回復し

食欲も戻り仕事にも復帰していました

24日木曜日、一緒に母の施設へ

その夜から食欲がでないと・・・

25日金曜日、元気が戻ったと職場(マンション)に来るも

その途中具合が悪くなり引き返して帰宅し寝付いていました

26日土曜日、午前中に掛かり付けの病院へ

午後から寝付いていたのですが姉が寝室を見ると

お漏らししていたそうです

便秘していたので下剤が効いたのでしょうね



姉が後始末をしている時に

済まないなぁ・・・

おまえにこんなことをさせる様になるとはなぁ・・・

と謝っていたそうです

その後、話す言葉がよく分からなくなったと姉より連絡

言葉がハッキリ喋れないのは脳梗塞の可能性もあるし

救急車を手配するかで姉と相談していたのですが

前回と同じ症状だから救急車は呼ばなくてよい・・・

と今度はハッキリ話したとのこと

翌日の朝まで様子を見ることにしました



夕食にお粥を二口・・・

その後お水を少し・・・

姉が席を外した間に亡くなっていました

末期の水だったのでせうね・・・




姉から10時頃連絡があり荷物をまとめて11時半に実家へ

父は薄っすらと微笑んで眠っているようでした

綺麗な死顔でした



自宅で亡くなった場合は面倒だよ・・・

そう聞いていたのでその夜は親子三人で過ごすことに決めました

住宅街の深夜に騒動を起こしたくなかったのと

掛かり付けに連絡を入れてみたかったのです

姉と徹夜で語り合いました

お線香を灯し続け二人でお通夜をしました



27日日曜日朝、掛かり付けは休日ですが念のため連絡するも不通

そのため警察へ連絡、警察から消防へ

消防の方が5~6人来て事情聴取

消防の引継ぎで駐在所の巡査が2人

その後、刑事課の刑事さん数人と鑑識の方も数人

自宅死亡の場合は事件性の有無の確認と検視が行われるのですね

事情聴取や金銭関係、鍵やら何やら調べられました

父の亡骸は検視の為警察署へ運ばれて行きました



葬儀会社へ連絡

市内の斎場は混んでいて火葬は4月に入ってからとのこと

刑事さんの依頼で父の預金通帳や保険関係を調べるため

マンションへ戻りこのブログを書いています



父の検視が行われた様で

刑事さんから所見に黄疸とありましたよと云われました

父は台湾産まれの台湾育ちなのですが

戦時中徴兵され栄養失調になり黄疸に掛かったそうです

その時、もう一回黄疸になったら死ぬよ・・・

そんなことを云われたなぁ・・・

と数日前に回想していたのです

死因が黄疸かは分かりませんが

検視の後は葬儀会社の保冷所に火葬まで安置されることになります

葬儀はごくごく身内だけの密葬と生前から云われていたので

そのようにしようと思っています





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父が亡くなった翌日

駅前の桜が咲き誇っていた



父の生涯もこの桜の様だった

精一杯いのちの花を咲かし散って往った

見事な見事な生涯だった



幼き頃の統治時代の良き思い出

陸軍入隊教練、身心衰弱

引き揚げてからの労苦

苦学して下谷税務署勤務から始まり

各地の税務署勤務

母と出逢い結婚

二児の父へ

東京国税局に永年勤務

税務大学校指導担当官

銚子税務署長で退官

退官後は税理士事務所開設

勲五等瑞宝賞叙勲



顧問先に恵まれ

先生、先生と慕われ

頼りにされていました

顧問先に徹底的に尽くしていました

仕事一筋

仕事が生きがいの父でした



私は紆余曲折の後

40歳頃から父と一緒に仕事をするようになりました

若い頃は反発し、父の歩む道だけは歩むまい・・・

そう思っていたのですが

歳を経、父の人となりに接するうちに

凄い人だな・・・

尊敬出来る人だな・・・

そう思うようになっていました

そして今、父と同じ士業の道を歩んでいます

父の歩いた道を引き継ぎ歩いています




愛する父上さま

本当にお疲れさまでした

本当にご苦労さまでした

そして、本当に本当にお世話になりました

若かりし頃、苦労ばかりお掛けしましたが

晩年に至り、少しはお返し出来ましたでせうか

あなたは私の誇りであり

私はあなたの息子として産まれたことを

こころより感謝しています



愛する父上さま

父上さまに受けた薫陶は深く

御教えを胸に刻み

人に尽くして参ります

どうぞ彼岸に渡り

こころ安らかにお眠りください



合掌




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仕事用スラックスを買替ましただ
実家用とマンション用の各2本。
某青山だす。
左側は夏用ですよん。


外回りの時は大体チノパンとジャケットですな。
スーツは滅多に着まへん
何とウエスト94㎝になってました!


今までボタンの位置をずらして無理くり穿いてましたが
もう限界に達しましたがな
7~8年は穿いたと思うのでお役御免じゃな


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本日は母の入所準備で実家へ
施設への荷物搬入のみなのでグリーンくんで出掛けましただ
途中、江戸川CRの菜の花が綺麗でしたよん
菜の花が香ってもう春じゃなー



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グリーンくんの走りはしっとりしてて実に気持ちええですなー




走行62.06キロ 積算2392.0キロ



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