10日木曜日、父から
「母が寝たきりになったから病院に連れて行ってくれ」
と連絡がありました

体調不調だった父ですが、細菌性の感染症だったよーで
抗生物質を処方されてからメキメキ回復して来てました

顔にツヤが戻って食事もふつーに摂れる様に

実家に着くと母がベッドで寝込んでました

病院には頑として行こうとしません


自力で寝返りも出来ず、手と頭は動きますが
身体全体はにじるよーにしか、それも数㎝づつしか動けません



起こして!起こして!と云うので
起こそうとすると痛い!痛い!もう起こさなくていい!

それこそ一日何十回もそれが続くのであります。
認知症だからすぐに忘れて繰り返されちゃうんですな。
紙オムツをしてましたがすでに小水でパンパン・・・。
かなり臭いますだ




ポータブルトイレで用足ししたがるので
用足しして紙オムツ交換するまで毎回20分ほどかかりました

大が無かったのが幸いでしたが・・・。
食事も摂れなくなり、一日小さなお握り数個から
一日ゼリー飲料1本、日曜日は絶食になりました・・・

水分は摂れていました。
ですが、意識も話し方もしっかりしていました。
母は頑健な身体で風邪一つ引いたこともないのです。
これは訪問診療に切り替えないとダメだな・・・
そう思いケアマネさんと協議するも3連休でなかなか進まず

それが進み始めたのが14日月曜日。
母の状態を聞き、訪問看護の看護師さんが
「これからすぐ行きます」と駆け付けてくれることに

その時、また母がトイレトイレと云うので布団を捲ると
あちゃ~!うんち漏らしてる~~!
紙オムツがまっ茶色・・・💩
ポータブルトイレに移動させている時に看護師さんが到着

二人で作業していると・・・
「河っちさんこれは血ですよ!」
「下血してます!」
「






見るとオムツもトイレも鮮血で真っ赤でした



「救急車を手配します!」
とテキパキ対応してくださりました


救急車は10分ほどで到着。
コロナ禍で受け入れが断られているのを知っていたので
どーなるかな・・・と思ってましたが3番目の病院で受け入れ可能に

決まるまで30分ほど掛かりました。
病院に到着してもコロナ禍で1時間ほど待たされました。
母は微熱があったのでPCR検査しないと処置出来なかったのです。
が、コロナ禍で患者さんが一杯でしたから。
もう一台救急車が先に停まって待ってましたもの

PCR検査の後、救急処置室へ。
それから5時間ほど掛かり・・・
「出血は膀胱からでしたが原因がハッキリ分かりません」
「引き続き検査になります」
「細菌性の尿路感染症を起こしていて微熱はそのためです」
「入院になりますが、コロナ禍でベッドに空きが無いので
今日は処置室で付き添ってください」
「この後入院の説明がありますのでお待ちください」
さらに1時間ほどして処置室に入ると看護師さんから
「ベッドに空きが出ました」
「今日は帰っても大丈夫ですよ」
「コロナ禍で面会はできなくなるんですよね」
「そうなんです。申し訳ありません」
ストレッチャーに寝かされた母は点滴されてました。
尿道口にはチューブが繋がり、まだ鮮血がタンクに落ちてました

もしかしてこれが最後になるのかも・・・
母の手を握り別れを告げました


入院の手続きやらベッドの後片づけやら連絡やら何やらかんやら
やることだらけで草臥れ果てましただ

父から「もう大丈夫だから。マンションへ帰ってよいから」
と云われマンションに帰ったのでした。
去年1月、母が両足火傷で寝付いたときも
今年になって両親の介護になったときも大変でしたが
この6日間の方がもっともっと大変でキツかったです。
「何でこんなになっちゃったのかなぁ・・・」
「自殺した方がよいのかなぁ・・・」
意識はあるのに身体が云うことを利かない。
苛立ち、怒り、悪態をつく、暴言を吐く、我儘ばかりの母。
母の介護生活ではずっとその傾向はありましたが
今回は輪を掛けて凄かったのです。
毎日々々それが続きました。
気持ちは分かるけれどこちらも疲労困憊しているので堪えました。
まるで生き地獄じゃないか・・・涙がこぼれました

小水をまき散らす、うんちやおしっこを漏らした下着やズボンを投げっぱなしにする。
下の後始末なんてどーってことなかったです。
正月明けからずっと介護生活と仕事が続いていたので慢性的に草臥れていたのですが
この6日間の草臥れに比べればたいした疲れじゃなかったです。
母の苦しみに比べれば私の辛さなど・・・。
「神さまもう十分です」
「一番良き時にお引き取りくださいますように」
「執着無く真っ直ぐに神さまの元へ参れますように」
そう祈らずにはおれませんでした。
母が居なくなった家は静かだった
のべつ幕無しに呼んでいた声が消え
家の中が静まり返っていた
小水と体臭の混じりあった
何とも云えない臭いだけが残った
覚悟して始めた介護生活だったけれど
もう一段上、もう二段上の覚悟が要る
それは本当だった
もう、このまま帰らず逝ってくれまいか
もうしんどいよ
そう望んでいる自分が居る
不甲斐ない息子をお許しください
私はあなたの無事よりも
我が身の楽を望んでいる
愛する母
大好きな母
母上さま
私はあなたに受けた御恩を
少しはお返し出来たのだろうか
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