姉がバリから帰って1ヶ月
そもそも母の入院の報を聞き帰国したのです。
父からは
母には逢えんのだから帰って来なくてもよい・・・
と云われてました。
私も今来ても山は越えたからなぁ・・・
と思う処もありました。




ですが、姉が帰国してくれて本当に安堵しました
張り詰めていたんですね。
1月は18日、2月は12日、3月は10日間実家でした。
母が入院し父の介護だけになりましたが
姉に父の面倒を任せることが出来て
かなり安心して日々を過ごせました



私だけだと週末メインになり
奥さまの手を借りても
どーしても父が一人の日が生じてしまいます
回復基調だったとは云えその日に何かあったら・・・。



姉は結婚を機に海外に移住。
数年に一度くらいは帰っていましたがその時は父母との時間。
今回のように父と二人だけの時間は初めてだったように思います。
父といろんなことを語り合い、食事の世話や家事をこなし
最後は下の世話もしてくれました。



スプーンのお粥をこぼした時には
お父さんは私が小さい時こうやって食べさせてくれたんでしょ・・・
おしめの世話の時には
お父さんはこうやって何度も換えてくれたんでしょ・・・
と謝る父に娘として尽くしてくれました。
臨終の日もずっと傍に居てくれました
亡くなる寸前まで父と語らった日々だったように思います。
父にとっても姉にとっても
幸せな幸せな時間だったと思います



姉の帰国時には奇跡的にチケットも取れ
母のための帰国だったのが
父に孝養を尽くすための帰国になりました。
父と過ごすための早期帰国だったみたいです。



姉は結婚して海外に移住するとき
親の死に目に逢えなかったらどうしよう・・・
それだけが気掛かりだったと云ってました。
それが父と濃密な時間も過ごせ最後の親孝行も出来ました。
私はそこに天の配剤のようなものを感じるのです。
父には最愛の娘と過ごす優しい時を
姉には父への最後の親孝行の時を。


父が逝ったあと
姉はずっと・・・今でも・・・泣き続けています
哀しさがあるのは勿論ですが
口にするのは
父への深い感謝・・・
父への尊敬・・・
父の子で良かったと云う想い・・・
こんなことがあった・・・
あんなことがあった・・・
それを延々と語っています。



何と幸せな父娘だろうか・・・
私もまた涙が止まらないのです。





祖母はベッドから少しはみ出して亡くなったのですが
父は生前、お前たちの世話にはなりたくない
おばあちゃんのように死にたい・・・
そう申しておりました。
そして、布団からちょっと左足が出た状態で
祖母のように亡くなっていました。
・・・思った通りに逝ったんですね





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父の訃報に際し
多数の方からお悔やみのメッセージをいただきました。
この場を借りてこころより御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。